ダキニと狐
ダキニは8世紀頃成立した密教経典『大日経疎』では人の死を事前に知り、その肉を食らう夜叉鬼とされていて、閻魔天曼荼羅(えんまてんまんだら。閻魔天を中心に仏教の世界観などを象徴的に表した図像)では閻魔天の取り巻きとして登場します。元々『大日経』(7~8世紀頃成立した密教経典)で閻魔天とともに現れるのは烏・鷲・婆栖・野干など、死肉を食らう動物でした。そこから、これらの動物と同じく、死肉を食らうダキニも閻魔天とともに登場するようになったのでしょう。
野干はもともとジャッカルの音訳ですが、中国や日本にはジャッカルは生息しないので、狐と混同されるようになったと言います。
ダキニは『大日経疎』より、さらにさかのぼるとインドの民間信仰では下級女神だったと思われ、日本の密教に取り入れられると、「宝冠を被る女神が狐にまたがり、右手に宝剣、左手に宝珠を持つ姿」で表されるようになりました。13世紀初めにはダキニは狐とみなされるようになったといいます。
蛇と狐
稲荷信仰の根源には古代原始信仰における祖先神・種神としての蛇がありました。狐は全身が黄色い毛で覆われているので、陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)では土気を持つとされ、穀物神と考えられるようになりました。
陰陽五行思想は、万物を「陰と陽」2つに分けて考える「陰陽思想」と万物は「木・火・土・金・水」の5つの元素からなり、互いに影響しながら変化・循環するとする「五行思想」が組み合わさった古代中国に始まる思想で、これにより様々な事がらの説明がされるようになりました。日本での狐に対する見方は陰陽五行思想が根底になっていると思われます。
蛇は稲荷信仰において「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」という主祭神になり、狐は実質的には主祭神の地位を蛇から引き継ぎつつ、その使者となりました。その後、狐神は仏教と習合して「白辰狐王菩薩」とされ、その力は主祭神を凌ぐようになります。伏見稲荷大社の御神符を見るとそのことがよくわかります。また、この名称からか、稲荷神の使いの狐はほとんど白狐です。 |