厄を払う商売
江戸から明治の中頃までは、大晦日や節分に「厄払い(やくはらい)」といって、災難や病気、いわゆる「厄」を、唱え事をして払う商売がありました。彼らが「おん厄払いましょう」と呼ばわりながら街を廻るのが節分の風物詩だったらしく、家々では豆まきが終わると厄払いを呼び込んで厄を払ってもらい、十二文(500円弱)ほどのお金とめいめいの歳の数ぶん、豆を包んで渡したといいます。
長寿を並べて
その厄払いの唱え事は「あァら めでたいな、めでたいな。今晩今宵のご祝儀に、めでたき事にて払おうなら、蓬莱山(ほうらいさん)に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年。東方朔(とうぼうさく)は八千歳、浦島太郎は三千歳、三浦の大助(おおすけ)百六つ、この三長年(さんちょうねん)が集まりぃ、酒盛りいたす折からに、悪魔外道(げどう)が飛んで出(い)で、妨げなさんとするところ、この厄払いがひっ捕え、西の海とは思えども、東の川へさァらり、さらり」という七五調(7音、5音の言葉を連ねた調子。和歌、俳句、川柳などもそう)の文句です。 |