くまどりん イヤホン解説余話
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「猩々(しょうじょう)」 歌舞伎座 夜の部

伝説の動物

この舞踊の主人公、猩々=猩猩は中国の伝説の動物です。猩猩は山中深く棲むとされ、中国の薬学書「本草綱目(ほんぞうこうもく)」によれば、姿は人間に似て、髪は黄色、体は白く、二本足で立って歩くということです。また別の書物に「生息地は日南国(今のベトナム南部にあった国)である」と書かれていることから、猩猩=オランウータンともされました。そんなことから中国では類人猿のたぐいの名に「猩猩」を使い、オランウータンをそのまま「猩猩」、チンパンジーを「黒猩猩」、ゴリラを「大猩猩」と呼ぶそうです。ちなみに類人猿に対し、いわゆる猿・モンキーのたぐいは「猴(こう)」とされ、ご存じの孫悟空は「美猴王(びこうおう、すぐれた猿の王の意)」を名乗りました。

赤と酒好き
また中国では、猩猩は動物のなかで一番赤い血を持つとされ、そこから鮮やかな赤い色を「猩紅(しょうこう)」、「猩々緋(しょうじょうひ)」などと呼びます。「猩々緋」は日本でも使われていますね。さらにこの赤から、“ 赤ら顔 ”  → “ 大酒飲み ”と連想され、「猩猩は大変に酒好である」ともいわれるようになりました。
舞踊の『猩々』はそのシンボルカラーといえる猩々緋が扮装に取り入れられ、またお酒が大好きなことがストーリーのベースになっています。

猩々の図
和漢三才図会(江戸中期の百科事典)

赤い物の名にも

猩々=赤というイメージから、赤い色が印象的な動植物の名に「猩々」が付けられていることがあります。鳥ならば「猩々紅冠鳥(こうかんちょう)」「猩々朱鷺(トキ)」など。植物では「猩々草」「猩々花」「猩々菅(すげ)」、それからポインセチアは、その赤い葉の色がヨーロッパではキリストの血に例えられますが、明治期に日本に伝わると「猩々木」と名付けられました。さらに「猩々海老(えび)」「猩々蟹(かに)」「猩々貝」なんていうのもいるそうです。なお「猩々蝿(ばえ)」は目が赤いのに加え、好んで酒に寄る習性をもっている、すなわち猩猩の二つのキャラクターを兼ね備えているのだとか。昆虫では他に「猩々蜻蛉(とんぼ)」がいます。

猩々蜻蛉

 

子供を叩く猩々
日本では、昔、子供がかかる病気でもっとも恐れられたのは「疱瘡(ほうそう)」だったそうで、これは疱瘡神という神様が引き起こすとされていました。そしてこの疱瘡神は赤い色を嫌うと信じられ、そこから赤い張子の犬や赤で描かれた「鍾馗(しょうき)様」の絵などが疱瘡のお守りとされたようです。

その「疱瘡除け」に猩々の赤が結びついたのが名古屋市緑区から知多半島一帯のお祭りに登場する猩々の大人形です。これは赤い顔をした猩々のかぶり物に人が入ってお祭りの行列に加わり、集まった人々(主に子供)を手や棒で叩き廻るもので、叩かれると穢れが祓われ、福がもたらされるといいます。時に、この猩々をからかう子がいると、猩々はその子を追い掛けまわしてメッタ打ちに(するふりを)するといいますが、これも子供が元気に丈夫に育ってほしいと願ってのことなのだそうです。
愛知県・鳴海八幡宮の猩々人形
 
「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」 国立文楽劇場 第一部

山伏の芸能
「歌祭文」とは江戸時代、山伏が法螺貝(ほらがい)を吹いたり、錫杖(しゃくじょう、修験者が持つ杖)で拍子を取ったりしながら、世間の出来事などを面白おかしく歌って聞かせた芸能です。諸国を歩く山伏は各地の情報に通じて話題は豊富であり、さらに聞き手の興味をひくよう話を誇張もしたようです。男女の心中話も数あるレパートリーのひとつでした。
お染久松物の決定版
この作品は『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』、『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』など、多くの名作を書いた近松半二の筆になり、当時話題になった大坂の“ お染・久松 ”の話を歌祭文のように新しく物語化したという意味で『新版・・・』と題されました。いわゆる「お染久松もの」の決定版といわれます。
心中話に
その基になった話とは、大坂の質屋の娘、お染を、彼女の子守をしていた丁稚(でっち、奉公人)の久松が誤って川で溺死させてしまった。久松はその咎(とが)で店の蔵に監禁され、やがて首をくくって自殺したというものだったようです。

お芝居はそれを、油屋の娘と店の丁稚が身分を越えて、児までなす深い仲になり、ついには心中するラブロマンスにしました。

野崎村で三角関係に
なかでも人気があるのが野崎村の段です。この村の百姓、久作には養子 久松と娘 おみつがいました。二人は兄妹のように育ったものの、血縁関係はないので、久作は、将来、二人を夫婦にすべく、許婚(いいなずけ)にしたのです。

久松は10歳で油屋に丁稚奉公。働くうちにお染と恋に落ちるも、悪者に盗みの濡衣を着せられ、野崎村へ戻されます。養父の久作は、これを機に、かねて許婚だったおみつと祝言(しゅうげん、結婚)させようとするのですが、そこへ、お染が、久松恋しさに訪ねてきて・・・。
口喧嘩が名物

野崎村(今の大阪府大東市)は、古くから、当地の野崎観音に詣でる「野崎参り」で知られています。昔は、大坂からは寝屋川を舟で、あるいは川の土手、徳庵堤(とくあんづつみ)を駕籠(かご)や徒歩(かち)で行きました。この道中では、舟で行く者と土手を行く者が罵り合うのが一種の名物で、これに勝つと、一年間、福があるとも言われました。

華やかさゆえに
野崎村の段のラストはその舟と駕籠を使った実に印象的なシーンです。ここで弾かれる三味線の旋律は「野崎の送り」と呼ばれる名曲で、その華やかな曲調ゆえに、かえってお染と久松の悲劇が浮き彫りになるようです。

「野崎参り」が描かれたマンホールのフタ
大阪府大東市

 
 
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