くまどりん イヤホン解説余話
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「播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)」 博多座 昼の部

一枚〜二枚〜
『播州・・・』は有名な怪談「皿屋敷」をベースにつくられたお芝居です。その基にされた怪談はいくつかヴァリエーションがあるようですが、基本形は、武家勤めの腰元・お菊が勤める家の家宝、十枚組みのお皿のうち一枚をあやまって割ってしまい(あるいは失くしたと濡れ衣を着せられ)、主人に折檻(せっかん)された挙句、井戸へ投げ込まれた。その後、お菊の亡霊が夜な夜な井戸から現われ、恨めしげに「一枚〜二枚〜」とお皿を数える、というものです。

このお話、お芝居の他、講談や映画にもなっており、落語にはこれをひねった「お菊の皿」というネタがあります。今回はその一席を少々端折りますが、ご紹介しましょう。

九枚まで聞くと・・・
江戸っ子は物見高いと申します。野次馬根性ってやつでして、そんな江戸っ子の一人が「皿屋敷」の話を聴き、仲間を誘って、幽霊見物に乗り込むことになりました。向かうは番町、今の東京・千代田区番町です。

荒れた屋敷の井戸の前で連中が陣取っておりますと、果たしてお菊の幽霊が現れ、「一枚……二枚……」と皿を数えはじめます。これを九枚まで聞くと狂い死にするという噂があったんですね。連中、六枚まで聞くと、ソレッてんで逃げ出しました。

アイドル並  
お菊さんというのは大変にいい女でして・・・。連中もそんなお菊さんに惚れたのか、はたま

新形三十六怪撰・皿やしき 於菊乃霊
月岡芳年 画

たスリルが何ともいえなかったのか、あくる日もまた出かけました。
こんな調子で、噂が噂を呼び、やがて皿屋敷のあたりは、毎晩、大勢でごった返すまでになります。お菊は、まぁアイドルのようになってしまったわけで・・・。
人間、そうなると勘違いしがちです。お菊さんも元は人間ですから、すっかりその気になって、客に愛嬌を振りまく始末。
逃げるに逃げられず
さて、その夜はいつにも増して客が多かった。黒山の人だかりの前でお菊嬢のワンマンショーが始まりました。
いつものように「一枚〜二枚〜」と数え出し、いよいよ六枚目。客は逃げようとしますが、凄まじい混雑で身動きがとれません。「七枚〜八枚〜九枚〜」
ギャー !! 最後まで聞いてしまった客があちこちで悲鳴をあげます。ところが・・・
明日はお盆休み
「〜十枚〜十一枚〜」、なぜか止まりません。そもそも皿は十枚組が一枚欠け、九枚しか残っていないはずなのに。
なんとお菊さん、十八枚まで数え、澄ました顔で帰ろうとするじゃありませんか。
見物衆はあっけにとられるばかりですが、その中から声があがります。「お菊ちゃん、なんで十八枚も数えたんだい?」
お菊は艶然と微笑んで「明日はお盆。休みますので、その分まで…」

お後がよろしいようで・・・。
 
「五条橋(ごじょうばし)」 国立文楽劇場 文楽鑑賞教室

昔は皆知っていた
♪ 京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 長いナギナタふりあげて 牛若めがけて切りかかる
これは明治44年(1911)に文部省が小学唱歌(小学生むけの歌)に定めた「牛若丸」の歌詞です。今は学校で教えないので、知らない方も多いでしょうが、50歳以上の皆さんはたいていご存知のはず。
千本目の夜に
歌の元になった五条橋の牛若丸(後の源義経)と弁慶の物語も、以前はこの歌と共によく知られていたようです。それは、刀を千本コレクションしようしている弁慶が、あと一本で達成するという夜に、五条橋を渡ってくる牛若丸から刀を奪おうとして、逆にやっつけられるお話。「義経記(ぎけいき)」という義経の伝記にあるエピソードをもとに、明治時代のおとぎ話作家、巌谷小波(いわやさざなみ)が書いた童話です。 
『五条橋』もこの伝説をもとにした人形による舞踊劇です。
兵法の力で
さてこのお話では、牛若丸は女の子と見違えるほどの美少年だったということです。そんな彼が大男の弁慶をやすやすと負かしてしまったのは、彼が鞍馬山で修行し、兵法(ひょうほう)を身につけていたからです。
企業戦士も
兵法とは中国の軍略=戦のテクニックのことで、その代表的な書物、かのナポレオンも学び、今の日本の企業戦士にも愛読者がいるという「孫子(そんし)」によると、「兵=戦」には、
@「兵は詭道(きどう)なり」− とにかく敵をだます。まともな方法ではだめ。
A「兵は拙速(せっそく)なるを聞くも、いまだ巧みの久しきを観ず」− 多少まずい方法でも短期決戦が良い。長期戦が成功したためしはない。
B「兵は勝ちを貴(たっと)びて、久しきを貴ばず」− 大切なのは勝つこと。延々と戦うのが目的ではない。
という三大ポイントがあるそうです。

牛若丸の先生は
牛若丸に兵法を教えたのは鞍馬山の天狗という話がありますが、もちろんこれはフィクションです。「義経記」によれば、それは兵法家の鬼一法眼(きいちほうげん)だったといわれ、『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』というお芝居でも、義経は鬼一の弟子ということになっています。
兵法家か陰陽師か

ただ彼は、実際は、もっと前の義経の祖父、源為義(ためよし)と同じ時代の人らしいので、この鬼一説も定かではありません。さらに鬼一は兵法家ではなく、安倍晴明(あべのせいめい)と同じ陰陽師(おんみょうじ、星占いや暦の専門家)であったという説もあるようです。

1995年発行の切手「牛若丸と弁慶」

 
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