いたのでしょうか。先生になると、たとえ身分は低くても、人別帳(戸籍)に「手跡指南(しゅせきしなん)」という教育者として登録されます。さらに先生たちは、生徒からはもとより、地域でも一目置かれ、感謝、尊敬されて、精神的な満足を得られたからでした。
マンツーマン教育
現代でも学習塾の良し悪しは評判ですぐ分かるように、寺子屋も金儲け目当てに開いてもうまくいかなかったようです。生徒や親にはどの寺子屋に通うか選ぶ自由があり、寺子屋間には競争がありました。
子供達はひとりの先生から何年にもわたって学びます。 いろいろな年齢の子供達が一つの部屋で机を並べ、先生は生徒一人一人の成長の度合い、個性や能力をよく見、それに応じた指導をしました。理想的なマンツーマン教育だったわけです。
教科書にも工夫
教育にかける熱意の程は、当時の教科書にもうかがえます。江戸時代に作られた教科書は、現在残っているものだけで7千種類以上といいます。内容も、将来、商人、大工、農民になった時に必要な言葉や知識を教えるもの、地方特有の地理や産物、生活習慣を説いたものなど様々に工夫が凝らされたようです。
ユネスコも認める
また習字にしても、半紙はもう真っ黒なのに、まだその上に書く。新しく書いた字は光って判るから、それでも教え、習うことができたといいます。今、盛んに言われる“ 限りある資源の有効活用 ”は寺子屋でとっくに行われ、当時の子供たちはそれを目の当たりにし、実践していたわけです。
なおユネスコでは識字教育(読み書きを教える)の一環として、そんな寺子屋の良さにならったWorld TERAKOYA Movement(世界寺子屋運動)を推進しているということです。 |