くまどりん イヤホン解説余話
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「井伊大老(いいたいろう)」 歌舞伎座

夜も寝られず
幕末の嘉永六年(1853)、ペリー提督率いるアメリカの黒船(東インド艦隊)4艘が浦賀沖に現れ、世の中は上を下への大騒ぎになりました。鎖国で平和ボケした日本に外国の脅威が迫ったのです。そのあわてぶりは「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)、たった四杯で夜も寝られず」と狂歌に詠まれました。上喜撰は味が濃いお茶の銘柄で、黒船=蒸気船4艘をその4杯にかけているわけです。
不平等条約 
翌年、幕府はアメリカと「和親条約」を結び、やがてこの条約によりアメリカから日本初の総領事としてハリスが赴任すると、彼は今度は「日米修好通商条約」を結ぶよう迫りました。その内容は日本にかなり不利な、つまり不平等条約だったので、幕府側は渋りますが、ハリスはイギリスやフランスが日本を侵略する恐れがあるから、早く日米が手を結ぶべきだと主張し、譲りません。
埋れ木から
この難題に取り組んだのが江戸幕府の大老、井伊直弼(なおすけ)でした。「大老」は幕府の役職で、老中の上に臨時に置かれたトップポストです。 
近江彦根藩主の十四男だった直弼は、他家に入る養子の口もないまま、18〜33歳まで、自らを花咲くことのない埋れ木にたとえ、世捨て人のように過ごしました。それが相次ぐ兄の死により、36歳で彦根藩主に、さらに44歳で前代未聞の国難を解決すべく、幕府の大老というピンチヒッターに立ったのです。

井の中の… 
この頃の幕府は役人が陥りがちな前例主義(以前の例にならって問題を解決しようとする)に染まっていたといいますが、降ってわいたこの出来事には対処しようにも前例がありません。なにしろ長らく鎖国していて、外国と付き合ったことがなかったのですから。

外国人を退けようとする攘夷(じょうい)論がいたずらに吹き荒れたのも、相手の力を知らぬ“ 井の中の蛙 ”がいかに多かったか、ということでしょう。

ワンマンの功罪
そんな中、井伊大老は日米修好通商条約を結んで開国を断行。やがて、いわゆる「安政の大獄(たいごく)」で反対派を厳しく弾圧しました。しかし彼は、そうした強硬策が仇になり、「桜田門外の変」で暗殺されてしまいます。
この間の彼の苦難は計り知れませんが、彼は世に出るのがいささか急だったので、有能なブレーンに恵まれず、ひいては情報もうまく得られなかったのでは…、と想像されます。それゆえ“ ワンマン ”にならざるをえなかったのでしょう。
知られざる面を

本作をはじめ数々の名作を産み、劇界の大御所といわれた北條秀司さんは井伊大老の知られざる個人的な側面や人間らしさを想い、また彼に、ご自身と相通ずるところもあると感じて、この作品を創られたのではないでしょうか。

 

攘夷論の風刺画・横浜場所で
外国人を投げ飛ばす力士

 
「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」 大阪国立文楽劇場 

辺境の民
その昔、都から遠い東北地方の、中央政権の支配が及ばぬ土着の民は「蝦夷(えみし)」と蔑まれ、平安初期、朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍に立て、これを征服。服従した蝦夷は今度は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれました。
12年に及ぶ「前九年の役」
俘囚のうち有力な一族は、朝廷へ特産物を貢ぐことなどを条件に、俘囚の長として一定の支配権を持つことを許され、奥州の安倍氏、出羽の清原氏などがこれにあたりました。
その俘囚長だった安倍頼時は支配地域を拡げようとし、また納税しないなど反抗的だったため、朝廷は、1051年、源頼義を鎮守府将軍に立て、彼らを攻めはじめます。それから安倍一族が滅ぶまで12年に及んだ戦が「前九年の役」です。
伝説をアレンジ
『奥州・・・』は近松半二らによる合作で、この「前九年の役」の後日物語です。四段目『一つ家の段』は頼時の未亡人、岩手が、天皇の弟である環(たまき)の宮を誘拐し、宮をシンボルに据えて安倍氏を再興せんとするお話。このくだりは安達ヶ原(福島県二本松市)に伝わる「一ツ家伝説」が下敷きにされていて、その伝説は次のようです。


生肝を求めて

京の公家に乳母として仕える岩手は、手塩にかけて育てた主人の姫の病に、妊婦の生肝(いきぎも)が利く、と知ります。彼女は、幼いわが娘を都に残し、姫と共に、はるか安達ヶ原にたどりつき、そこの岩屋で暮らすことに。

仕留めたのは・・・
都を出てから十数年後の秋の夕暮れ、その岩屋へ若夫婦が立ち寄ります。妻はみごもっていて、急に産気づき、夫は薬を求めて出て行く。岩手はそのスキに出刃を振るって・・・。
ところが殺した女は、その昔別れた実の娘でした。ショックで正気をなくした彼女は、その後、旅人を次々に殺め、やがて熊野の僧、東光坊に滅ぼされました。
鬼気迫る
その鬼婆を葬ったとされるのが今もこの地に残る「黒塚」です。塚の側には平安期の歌人、平兼盛の「みちのくの 安達ヶ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか」の歌碑も建っています。
お芝居で、妊婦を殺すシーンの浄瑠璃には「唱ふる口は耳まで裂け、安達原の黒塚にこもれる鬼と言ひつべし」と兼盛の歌が引用されていて、その語りはまさに鬼気迫ります。
同情的に
また、俘囚という差別的な身分に置かれ、ついには滅んだ安倍一族は、まるで白人に土地を追われたアメリカの先住民インディアンのようであり、このお芝居は、作者も彼らに同情的であることがうかがえる作品です。

鬼婆を埋めた黒塚
(観世寺付近、福島県二本松市)


 

 
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