くまどりん イヤホン解説余話
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「法界坊・双面水照月(ほうかいぼう・ふたおもてみずにてるつき)」 歌舞伎座

身をやつすうちに
京、吉田家の若君、松若丸は奪われた家宝「鯉魚(りぎょ)の一軸」を探すために江戸へ下ります。そして永楽屋の手代に身をやつし、要助と名乗って宝の行方を探るうち、店の娘、おくみと相思相愛に。
色と欲との
破戒坊主の法界坊は、その家宝を奪った悪人に荷担し、おくみにも惚れて、色と欲との二筋道をまっしぐら。松若の許婚(いいなづけ)で、彼を慕って追ってきた野分(のわけ)姫を「松若に頼まれた」と吹き込んで殺しますが、とど自分も殺されてしまいます。姫は松若に、法界坊はおくみに執着しつつ…。

最後の一幕
その二つの霊が合体し、現れるのが大切(おおぎり)の『双面…』です。

歌舞伎の関係者は一幕が終ることを「切れる」といいます。“ 大切 ”は「その日上演される最後のもの」という意味で、そもそもは歌舞伎の興行上の用語でした。
寄席にも
縁起をかついで「大喜利」とも書くこの一幕は、スターが顔をそろえ、華やかにしめくくる、いわばフィナーレ。多くは浄瑠璃(じょうるり、三味線の旋律にのせ、節をつけて語る)を伴奏にした所作事(しょさごと)、舞踊仕立てで、明るく幕を閉じ、お客さまに機嫌よくお帰りいただこうというわけです。
ちなみにお芝居から出た大喜利は、テレビの「笑点」でおなじみのように、寄席でも観られますね。
怨みが合体
「双面」は男女二人の霊が合体し、それぞれ恨みを抱く相手に祟るというホラー的趣向。江戸後期にいくつか「双面物」が作られました。
このお芝居では合体霊は、おくみとウリふたつの姿で松若とおくみの前に出現。本物のおくみしか知らないはずの踊りをそっくりになぞってみせたりします。やがて、姫と坊主の合体霊なので、姫の霊は松若に、法界坊の霊はお組に恋の怨みをかきくどく、双面物お決まりの展開に。
ガラリと変わって
それまで薄汚い法界坊に扮していた中村吉右衛門が、一転、綺麗な娘姿になり、さらに坊主と姫の怨念を演じ分けます。ファンには最高のサービスです。
四世市川団蔵の『双面』
(寛政10年、1789年)
 
 

文楽「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」  国立小劇場 第一部

 

明日は放生会
恩人のために人を殺(あや)めた関取の濡髪が、老母にひと目会おうと実家へ立ち寄ったのは、明くれば石清水(いわしみず)八幡宮の放生会(ほうじょうえ)であり、中秋の名月という晩でした。母には義理の息子(亡夫の先妻の子)、十次兵衛もいて、こちらは、その日に代官に任ぜられ、初仕事に濡髪を逮捕するよう命じられたのです。    
月の照る夜に
義理と人情のせめぎ合いにさいなまれる母と二人の息子たち。「生けるを放つ放生会」を背景に、屋根の明り取りの引窓を、開ければ差し込む月明かりが劇的にからんで、舞台は詩情豊かに展開します。 
生き物に感謝
放生会は、殺生(せっしょう)を戒める仏の教えから生まれた法要で、年に一度、捕まえた鳥や魚を放してやる行事です。人は自身が生きるために、生き物を捕り、生活の糧にしています。放生会では、その罪滅ぼしをし、改めて「生きとし生けるもの」に感謝しようというのです。
元来、仏教の行事だった放生会は、やがて神社である八幡宮でも催され、今も、石清水をはじめ、福岡の筥崎(はこざき)宮などで盛大に行われています。
唐の軍隊から?

八幡宮に祭られる八幡神は大分県の国東(くにさき)半島で信仰されはじめたといわれ、同県の宇佐八幡宮が元締めです。“ 八幡 ”は中国の唐で、軍隊を象徴した「八本の幡(旗)」がその語源だとする説があり、この信仰は大陸から伝わったともいわれます。やがて八幡神は誉田別尊(ほんだわけのみこと、15代応神天皇)であるとされました。

都の南西に
石清水八幡宮は、朝廷が京の都を護ってもらおうと、860年に京の裏鬼門(南西の方角)に当る男山(おとこやま、京都府八幡市)に宇佐の神を請じて祭ったのが始まりです。源氏は八幡神を氏神とし、源義家はここで元服して、八幡太郎と呼ばれました。
神と仏が合体
八幡神はまた、奈良の大仏様を造るのを助けたといわれるほど仏教と固く結びつき、神仏習合(しんぶつしゅうごう)という形で信仰されました。仏教では「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」と称されます。
戦没者慰霊
八幡信仰は、この神と仏が合体したことから、また軍神と崇めた武士の台頭とともに、全国に広がりました。八幡社の数はお稲荷さんと一、二を争うほどだとか。

仏教を起源とする放生会が八幡宮でも行われるのは、神仏習合信仰からといえましょう。ただ八幡宮で行われる放生会は、八幡神が戦の神であることから、戦争犠牲者の霊を慰めるのも大きな目的だったようです。
放生会が催される石清水八幡宮
 
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