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青木 房枝(あおき ふさえ) | ||||||||||||||
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初解説 1980年4月 楼門五三桐 |
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略歴 日本女子大在学中はもちろんのこと、卒業してからその世界をきわめていって、いまやその名は広く知れわたったというケースは、歌舞伎、日本舞踊、文楽、能、狂言……など古典芸能の世界に多い。 もの心ついたころには舞台をみていたとか、幼いときから日舞を習っていて、それがそのまま現在に続いている場合がほとんどだが、そのきっかけは、両親とか祖父母、近い親類ら、大部分が目上の家族の影響によるもののようだ。それはまた、趣味を大切にする家庭に育ったということでもある。青木房枝さんはそんな家に育った。 十三歳、中学二年には日舞と長唄に入門した。歌舞伎や日舞を趣味にする人なら、坂東流の名取名「坂東勝芙紗」でよく知られている舞踊家だ。同時に彼女はイヤホンガイドのパイオニアであり、その制作に熱心に取り組む日舞の研究家でもある。 現代人にはなかなか理解しにくくなっている日本舞踊に宿る日本の心を、できるだけ多くの人にわかってほしいという青木さん。京風にいえば、”はんなり”とした雰囲気の彼女には京女に似たシンの強さもあった。 中二のときの日舞と長唄の入門のきっかけは、父親に連れられて見た坂東三津之丞の華麗な踊り。舞台を見たその日から日舞を習い始めた。「金縛りにあったみたいに魅せられた」という。日本女子大付属高校に入学して半年後には、坂東流七世家元・坂東三津五郎丈から「坂東勝芙紗」の名を許されている。その上達ぶりは推して知るべし。 大学国文科に進んだときにはすでに出稽古で弟子を取っていた。卒論はもちろん日本舞踊の研究だった。さらに河竹繁敏のいる早稲田大学大学院で芸術、演劇学の修士課程を修了、同時進行でリサイタルや多くの舞台で歌舞伎舞踊を演じつづけた。 青木さんが日舞に関する部分三十ページ余を担当した労作「芸能名言辞典」(東京書籍)が発行されている。日本の古典芸能を極める上で貴重な一冊と好評である。 スポーツニッポン記事より
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