『義経千本桜』
(よしつねせんぼんざくら)
くまどりん
竹田出雲(たけだいずも)・三好松洛(みよししょうらく)・並木千柳(なみきせんりゅう) 合作

大序鳥居前渡海屋・大物浦道行初音旅すし屋川連法眼館

【解説】
「義経千本桜」というタイトルからストーリーを想像すると、源義経が主人公として大活躍するお話しと思う人も多いでしょう。
でもこのお芝居、実際の主人公は源義経ではありません。
「平知盛(たいらのとももり)」「いがみの権太(ごんた)」「佐藤忠信(さとうただのぶ)実は源九郎狐(げんくろうぎつね)」の三人(・・・二人と一匹?・・・)の話を中心にこの物語は進行するのです。
この三役を一日にすべて一人で演じるのが「立役(たちやく=男役者)の卒業論文」といわれます。
「武士・庶民・動物」を演じ分け、時代物・世話物・舞踊すべてをこなす演技力はもちろん、それらを演じ切るとび抜けた体力も必要とされるという・・・まさに至難のワザといえます。
このお芝居、もともとは人形浄瑠璃(文楽)の作品です。
人形浄瑠璃で武士の世界を描く場合、物語の発端から三つの異なるストーリーが生まれ、それがひとつに帰結してフィナーレを迎える、という形式がとられます。
このお芝居も「千本桜」という大木から三本の枝分かれしたお話があります。
お話が三つということは、当然主人公たる男女も三人ずつ、そしてクライマックスの見せ場も三つ、それぞれに用意されていることになります。
芝居用語でこの三話を二段目・三段目・四段目といい、それぞれのクライマックスのことを「切り場」と呼びます。
当時の作者たちはストーリーの面白さと共に、三つの切り場にいかに変化を持たせ、逆に、いかに統一感を与えるか、また、三組のヒーローとヒロインをいかに個性豊かなものとするか、といった点に心をくだいたわけです。
三つが三つとも似たりよったりでは、わざわざ長編にする意味がない。
さりとて、すべてがバラバラで共通項がない、というのも芸がありません。
そこらへんに工夫がこらされています。
「千本桜」だと例えば三人のヒーロー。
二段目の知盛は平家の武将、三段目の権太は山里の庶民、四段目の忠信(実は狐ですが…)は源義経の家来、というわけで、源氏・平家・第三者から一人ずつを選んであります。
また、物語の発端では、義経が朝廷から「戦死した平家の三人の武将、知盛(とももり)・維盛(これもり)・教経(のりつね)が、実は生きているようだ。真相を解明せよ」と命じられるのですが、この三人のあつかいも各段で違っています。
つまり、二段目では三人のうちの知盛が主役です。
これが三段目では主役を権太にゆずって、維盛は脇に廻ります。
そして四段目になると、教経はいわゆる黒幕的な存在として表舞台から姿をくらませています。
教経は、四段目の主役である忠信の兄・継信(つぎのぶ・つぐのぶ)を、壇ノ浦の合戦で殺した人物、ということに設定されます。
その他にも二段目のラストで弁慶が吹くホラ貝、三段目の愁嘆場で権太が鳴らす子供のおもちゃの笛、四段目で静御前が打つ鼓、という三種の楽器をたくみに用いた演出…など「三つのヴァリエーションの知恵」はいくらでも見つけ出すことができます。
…こじ付けだっていいんです…
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【大序(だいじょ)】
源義経は平家追討の恩賞として、後白河法皇(ごしらかわほうおう)から「初音の鼓」(はつねのつづみ)を賜りました。
ところが、義経の妻・卿の君(きょうのきみ)は、平家の血筋であること、また、義経が差し出した平家方の大将の首のうち知盛、維盛、教経が偽物だったことから、鎌倉方(かまくらがた=義経の実兄で鎌倉幕府を開いた源頼朝)に疑われ都落ちの憂き目にあいます。
これが大長編のはじまりはじまり…。
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【伏見稲荷鳥居前(ふしみいなり とりいまえ)】
この場は初音の鼓のくだりの発端です。
義経の愛妾(あいしょう=愛人、おめかけさん)・静御前(じずかごぜん)は、九州へ落ちる彼氏から形見に初音の鼓を託され、泣く泣く別れた途端、鎌倉方の追っ手・逸見藤太(はやみのとうた・はやみのとうだ=『半道敵(はんどうがたき)』といっておかしみのある三枚目の敵役)に捕われてしまいます。
ここに忽然と現れた義経の家来・佐藤忠信が、逸見藤太たちをさんざんに蹴ちらし、彼女を救い、その道中のお供(つまりボディーガード)をすることになりますが、実はその忠信は初音の鼓に張られた皮(あえて言っちゃいますが、1000年生き続けてきたキツネの夫婦の皮)を慕ってきた子ギツネの化身なのでした。
舞台では隈取(くまどり)も勇ましい忠信が、荒事(あらごと=とっても強くてカッコイイ「豪傑=スーパーマン」が自分の信じる正義のために子供のような無心さで無鉄砲に悪に立ち向かうに痛快な演技)の各所で動物の所作(しょさ=舞踊的振事・しぐさ)を見せるの瞬間をお見逃しなく。
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【渡海屋・大物浦(とかいや・だいもつのうら)】
ここは知盛編です。
壇の浦で討ち死にした平知盛が実は生きていた、という大変大胆でミステリアスな趣向が見どころとなっています。
絶対に歴史上の事実と思ってはいけません。
事実と虚構が交じり合った世界の中で「うっそー!」と思いながら「ほんまかいな?へぇーなるほど!」と楽しむのが芝居の味わいの一つですよね!
知盛は、重盛(しげもり)、宗盛(むねもり)についでお父さんの清盛(きよもり)の三男坊です。
文官肌の二人の兄と違ってタカ派の知盛は「斜陽平家」を挽回しようと大いに奮闘しましたが、ついに追い詰められ平家派の安徳帝の後を追って入水(じゅすい=水の中に身投げして溺れ死ぬこと)しました。
哀れにも悲しい最期のありさまを偲び、瀬戸内海地方には早くに彼の怨霊伝説が生まれています。
一方、勝ち組の義経は数々の武勲を立てながらもそれを妬むものに謀られ、兄・頼朝から追われる身となったのはご存知の通りです。
義経は兄弟喧嘩を避けて、兄の命令に従い、九州へ落ちようと摂州(大阪府)の大物浦から舟出しますが、嵐に遭い元の岸へ戻されてしまいました。
この台風を知盛のタタリだとしたのが能の「舟弁慶(ふなべんけい:歌舞伎舞踊にもあります)」。
能やら伝説やら史実やらをミックスしてSF式に作りあげたのが、この渡海屋・大物浦!
 さて、九州へ渡るために大物浦までやってきた義経、この地では渡海屋(海運業)を営む銀平(ぎんぺい)の計らいで舟出の日和を待っています。
「今日はいつにない舟日和」という銀平の言葉に出舟したところ、一天にわかにかき曇り、その荒れ模様に乗じて襲ってきたのは、すでに滅んだはずの平知盛。
知盛は死んだと見せかけ、実は渡海屋銀平に身をやつして平家再興の機会をうかがっていたのです。
どっこい、義経はその企ては先刻承知。
知盛は奮闘むなしく、わが身に縛り付けた大イカリもろとも今度こそ本当に海中へ沈んで行くのでありました。
知盛は義経を襲う際、純白の鎧装束(よろいしょうぞく)に身をかためて亡霊をよそおう、このあたり、先ほど述べた伝説や能の趣向を取り入れたところ。
しかしなぜ知盛は自らを亡霊に見せる必要があったのでしょうか?
それは、平家再興の大望を抱く知盛の最後の目的はいずれは頼朝を討つこと。
そこで、義経を攻める際、知盛が実は生きていると世間に知れてしまえば、最終目的達成の妨げとなる。
そこで、亡霊の姿をかりたというわけなのであります。
このお芝居、前半は世話(せわ=江戸時代の庶民の実生活をえがくもの)、後半は時代(じだい=江戸時代の人達が考えていた過去の侍や貴族をえがくもの)がかった演出、となっていますので、役者にとっては違いを出すのが難しいところ。
大イカリのつながった太い縄を体にくくりつけ岩の上からまっ逆さまに…という知盛の最期は、平家最終の壮絶な悲劇を象徴するようで、見ごたえ十分です。
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【道行初音旅(みちゆきはつねのたび)】
通称:吉野山(よしのやま)
ここでは再び鼓の話に戻って、静と忠信が吉野(よしの=今の奈良県吉野地方=桜の名所として有名な山)にいる義経を訪ねに行く道中を踊りで見せます。
二人が興にのって、雛人形のように寄り添ったり、激しかった源平の戦を回想して涙にくれるといったシーンが満開の桜の中、詩情豊かに展開します。
ただ、二人が主従であるというけじめはきちんとあらわされます。
後半は鎌倉方の追っ手、逸見藤太との鳥居前につづく二度目の対決!?おかしみのある立ち廻りとなります。
ここでも忠信は静御前の打つ鼓に惹かれて、時おり怪しいそぶり…
彼の正体は…
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【すし屋(すしや:鮨屋】
秋も深まる奈良・吉野山のふもと、下市村(しもいちむら)が舞台。
弥左衛門(やざえもん)とおくらという朴訥な夫婦が営む「釣瓶鮨屋(つるべずしや)」での物語。
釣瓶鮨とは、地元の川で採れた鮎を鮓桶(すしおけ)の中に漬けこんで発酵させた「熟鮓(なれずし)」です。
藤のつるで桶をきつく締めて密封するので商品名にしたんですね。
真空パックの元祖です。
実際に吉野の名物。
ところでこの弥左衛門、かつては中国との密貿易でならした荒くれ者でした。
その折、平家の武将重盛に大きな借りをつくりました。
その恩返しにと、重盛の息子の維盛を源氏の討手からかくまっています。
維盛は店の奉公人弥助(やすけ)に姿を変えていますが、村には人相書きが出廻りました。
頼朝の手先の梶原平三(かじわらへいぞう)率いる討手も村にやってきます。
おまけに、弥左衛門の息子で、ゴロツキの権太(ごんた)が、この人相書きを手に入れたから大変。
「弥助のやつ、やけにこの人相書きに似てるぞ」と、褒美の金ほしさに、こいつに狙いをつけているんですね。
捕まえて梶原に差し出せば褒美の大金がもらえる…、と最近の保険金詐欺まがいのニュースさながらの展開。
「親の心、子知らず」とはこのことです。
維盛の運命やいかに…。
さぁ、ここで大きなカギを握る小道具が、例の鮓桶です。
店先に並んだ釣瓶鮨の桶のうち、二つが実際に権太や弥左衛門の演技に用いられます。
その際ぜひ、「あの桶の中には何が入っているか」を心に留めながら舞台に注目して下さい。「あっと驚く」結末が…。
歌舞伎の典型的なモドリの演出、歴史の陰で犠牲になる庶民の悲しみが見せ場です。
「子の心、親知らず」・・・・・・。
余談ですが、この「いがみの権太」の役で評判をとった五代目松本幸四郎(まつもとこうしろう)は左目尻にくっきりとホクロがありました。
当時の錦絵には必ず描かれている、いわば彼のトレードマーク。
そこで、この芝居を人気演目に定着させた五代目に敬意を表す意味で、権太を演じる時は左目尻にホクロを描くようになりました。
名演技も何世代か経るうちに次第に違ってくるのは「その場限り」という舞台の性質上、芝居の世界では宿命といえます。
「せめて顔かたちの特徴だけでも後世に残そう…」というのが先人たちの芝居ごころでした。
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【川連法眼館(かわつらほうげんやかた】
通称:四の切(しのきり 四ノ切 =四段目の切り場)
さて四段目は忠信篇です。
九州に向かうはずだった義経は、船出できず(大物浦の一件です)、海がだめなら山があるさと、奈良県吉野の山の中、川連法眼という吉野山の僧兵の司令官の館に身を潜めています。
そこに佐藤四郎兵衛忠信(さとうしろうびょうえただのぶ)が到着。
佐藤忠信は、母親が危篤だという知らせで出羽(でわ:東北地方)に帰り、母の最期を看取って、今、吉野に着いたのです。
義経は忠信に「伏見の鳥居前でお前に預けた静はどこだ」と尋ねると、忠信は「伏見?静を預けた?何のこと?」
さてはスパイか!
すると、「静とともにまた忠信がやってきた」という知らせ。
義経も忠信も「なぜ」と怪しむのですが…。
やってきた静は本物。
静が言うには「そういえばどうもあのボディガードさん、変だったわ…私より鼓のほうに気をとられてたみたいだし…」
やがて義経から謎を探るように言われた静が、道中の間、忠信が異常に惹かれていた「初音の鼓」を打つと果たして彼が忽然と現れ、自分は鼓の皮の子だと告白するのでした。
「さてはそなたは狐じゃなぁー!」
ぽんと身を翻した忠信は、全身白い毛に包まれた美しい狐にかわります。
忠信が御殿の階段にパッと出現したり、廊下の床に消えすぐさま縁の下から真っ白な狐の姿に変わって出たりと、狐の神通力を表す工夫、トリックに驚かされますが、ドラマは親を慕う動物の姿を通して人間界の無常が浮き彫りにされています。
さまざまなケレンと愉快な立ち廻り、見どころが盛り沢山。
忠信がキツネであることを示している演技をお見逃しなく。
最後にキツネは義経から「源九郎(げんくろう)」の名前と鼓を贈られます。
「源九郎」は源氏の「九郎判官義経」の名からとった名前です。
源九郎ギツネは自分の両親「初音の鼓」を手に、喜び勇んで飛び去って行く・・・
本当に「飛び去って行く」演出もあります。
「宙乗り(ちゅうのり)」・・・市川猿之助が演じるときはこの演出。
この演出で、もっとも「得した気分になれる」のは、三階席の下手袖(しもてそで=舞台むかって左側端)のお客さまではないでしょうか。
手が届きそうな目の前を狐忠信が、たっぷり時間をかけながら上昇していくんですから。
宙乗りは、最上階の大衆席を特等席に変えてくれる、まさに「空中の花道」なのでしょう。
蛇足になりますが、この場は四段目の切場(最後の場面)という意味で通称「四の切」と呼ばれます。
が、実際の四段目にはこのくだりの後に、平教経(八島の合戦で忠信の兄・継信を殺し、入水して死んだと思われていたが実は生き延びていた)と義経の対面の場があり、これが本当の切場となるので厳密に言うと「通称:四の切」は「四の切」ではないのです。
蛇足の蛇足、重箱の隅をつつくような見方ですが、「義経」の文字を重箱読みしますと「ギツネ」。
狐忠信の役割がいかに大切かがわかります。
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