本名題:「青砥稿花紅彩画」(あおとのぞうしはのにしきえ)
別名:弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
江戸から明治にかけて活躍した大狂言作者・河竹黙阿弥の名作『青砥稿花紅彩画』、通称『白浪五人男』『弁天小僧』。
黙阿弥は1816年、江戸日本橋の生まれ。
77年の生涯で、時代物を90、世話物130、踊りを140、合わせて360本の作品を書き、明治の劇作家・坪内逍遥をして『江戸の芝居の大問屋だ』といわせています。
白浪≠ニは盗賊のことで、怪盗ルパンならぬ五人の盗賊たち、お家騒動を背景に暗躍します。
昔、中国の白浪谷を住みかとした盗賊がいたことから、盗賊を題材にした芝居を白浪物≠ニいい、黙阿弥は白浪作者と呼ばれるほど多作しました。(盗作ではありません!)
舞台は鎌倉・・・
千寿姫(せんじゅひめ)は初瀬寺(はせでら)へ、亡父と殺された許婚者の菩提をとむらいに行き、そこでお供を連れた若侍に出会います。
姫は許婚者にそっくりな若侍と契りを結びます。
ところがこの男、とんでもない人間で、姫を御輿ヶ嶽(みこしがたけ)の辻堂に誘い出し、「俺は弁天小僧菊之助だ。許婚者は俺が殺した」と打ち明けます。
お供の男にばけていたのは、不良仲間の南郷力丸(なんごうりきまる)。
姫は驚き、谷に身を投げます。
このいきさつを堂の中で聞いていたのが、大盗賊・日本駄右衛門(にっぽんだえもん)。
弁天と南郷はここで日本駄右衛門の手下になる。
一方、谷底に落ちた姫は、追放された元家臣の赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)に出会い、身を恥じて自害する。
赤星も死のうとするところへ、家来筋の忠信利平(ただのぶりへい)に止められる。
赤星と忠信はここで日本駄右衛門の手下になる。
こうして、白浪五人男が誕生する。
さて有名な「浜松屋見世先(はままつやみせさき)の場」。
強そうなお供を連れた、美しい武家の令嬢のお越しと思いきや、さにあらず女に化けた不良少年、弁天小僧。
お供はやはり南郷力丸。
目的はいわずと知れた大店相手のゆすり。
ところが、その場にいた玉島逸当(たましまいっとう)という黒頭巾の武士に正体を見破られる。
がらりとひらき直る弁天。
文金高島田の髷が傾き、緋ぢりめんの裾をはだけ大あぐら。
肩から腕の桜吹雪のいれずみ。
ご存知弁天小僧の名セリフ、「知らざぁ言って聞かせやしょう」となるわけです。
結局、浜松屋の主人から、小銭(といっても10両。50万円くらいでしょうか)をもらって引きあげる黒頭巾の武士は、実は、日本駄右衛門。
「浜松屋蔵前の場」
その夜、彼の手引きで五人男が浜松屋の蔵に押し入る。
ぎらりと光る刀を抜いて「金をだせ」
ここで、またまた意外、浜松屋のせがれは日本駄右衛門の実子・・・
そして、弁天小僧の実の父が浜松屋の主人・・・
巡る因果のオソロシサを書くのは、黙阿弥先生の得意なところ!
しかも、浜松屋に押し入る前に、頼んでおいた五人の浴衣が出来たとか。
逃げる五人、追う捕り手・・・
とはいえ、ぜんぜんあわてていません。
稲瀬川勢揃(いなせがわせいぞろい)の場」
白浪五人男が、ひとりひとり登場して、花道にずらりとそろい、気持の良い渡りせりふ。
花道にその五人が手に手に番傘を持って並ぶのはまさに錦絵そのもの、ファンにはこたえられない場面。
それから本舞台に並んで、ひとりひとり自己紹介、七五調の名せりふ!
桜満開の稲瀬川勢ぞろい。
その後が、急展開の大立ち回り。
「極楽寺大屋根(ごくらくじおおやね)の場」
大道具のすごい仕掛けが見ものです。
弁天小僧は極楽寺の大屋根に追い詰められ、ついに立腹を切る。
舞台いっぱいの大屋根が、ゆっくりとあおり返る。
同時に、舞台の下から大きな極楽寺の楼門が、せり上がってくる。
「極楽寺山門(ごくらくじさんもん)・滑川土橋(なめりかわどばし)の場」
その楼門の上には、日本駄右衛門。
ここで、親分の日本駄右衛門は、名奉行・青砥藤綱のお縄に…
題名に『花紅彩画』(はなのにしきえ)とあるとおり、どの場面にも、極彩色の錦絵を一枚一枚見るような、華やかさと、息もつかせぬおもしろさがいっぱい! |